「幸せなきもち」とは、風呂上りのビール、お給料日のハーゲンダッツ、夏休みの旅行などの日常、あるいは非日常の楽しみに感じられるもの。
「幸せな状態」とは、子どもがいる家族団らん、若さと健康に恵まれていた状態など、当人は最中にいても、「幸せな状態」に気づかないケースも多い。
人間とは、幸せなきもちと幸せな状態、片方を得ていても、ないものを求める、欲深で厄介な生き物なんだ、と万城目さんが言っていて、本当にその通りというか、人間って常に両方を求めている欲張りなんだろうと思います。
幸せな状態に無自覚なのはなぜだろうと考えると、「失って初めてわかるから」。なぜ失わないとわからないのか?「それがあるのが当たり前だから」と思い至りました。子どもがいると、子どもがいるのが当たり前。健康だと健康な状態が当たり前だからなのですよね。
そこで、自己啓発やスピリチャルによく出てくる「感謝」が生きてくる。当たり前な事に「感謝」できるってことは、当たり前な事の存在を自覚しているから出来ることだから。
「幸せなきもち」はセロトニンを出す行動ををすれば、ささやかですが感じられますが、「幸せな状態」を作り出すのはなかなか難しいかもしれません。自覚の問題なのか?それだけではない気がするのは、やっぱり私が欲張りだからでしょうか? それとも、人間って常に「ないものねだり」状態のものだからなんでしょうか。
過去記事ですが、幸せホルモン、セロトニン
https://nanten505.seesaa.net/article/202001article_5.html
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ラベル:つぶやき
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