仮にうつと診断されても、自分や家族が心安らかに治療ができること、治療が終わったらまた快適な生活ができるという希望が持てる、それらが担保されて初めてうつの受診がなされるのである。
① 住民の排他的傾向が希薄であることが要因の一つではないか、いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい、という考え方が常に人々の態度で示されることが必要。
② 人物本位主義。自分ではどうしようもない出自や財力で一生が定まっていくのではない。人それぞれに異なる能力と、心根によって評価されているということを共有できている。
③ 人々のつながりがゆるやか。人への評価は良くも悪くも固定しない。ひとたび評判を落とせば、二度と浮上できないというレッテルづけを恐れることなく生きていける。
④ 一度目はこらえたる、「許してやる」という態度。挽回のチャンスがあると思える。やり直しができると信じられること。
かくして問題は地下へ潜らず、開示へと向かう。(引用終わり)
うつへの偏見の少なさが受診率の高さにつながるのですが、偏見の少なさというのが様々な要因が絡み合い、一つ欠けていても成り立たないかもしれない。そこに、この町の奇跡があるのです。最も幸せから遠い国、モルドバと旧海部町を見ると、つくづく「集合意識」のレベルの違いが住む人々の運命を変えてしまう可能性があることを感じます。
しかし、前回記事にした、自殺多発地帯の人がこの土地へ移り住んでも、恐らく長年培われた気質はすぐには変わらないでしょう。だからといって私たちが何もしなくていい理由にはなりません。私たちが一人一人、意識を良くするように心がけていかなければならない。難しいですが。
前回記事の、自殺多発地帯の地理的特性の影響
https://nanten505.seesaa.net/article/202107article_5.html
過去記事ですが、最も幸せから遠い国、モルドバ
https://nanten505.seesaa.net/article/202106article_7.html

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