「愛する」という言葉が入っていますが、私はどうも昔からこの「愛」という言葉がしっくりきません。男女の性愛、家族愛、郷土愛、人類愛、この辺りまではよいのですが、盲愛、溺愛とあまりよくない言葉もあります。
海外のスピリチャルな本によく「愛」「愛せよ」のような言葉が出てきます。神との対話とか、アミ 小さな宇宙人とか。地球上の全ての宗教の基盤になる概念なので当たり前ですが。
この「愛」という日本語は昔からあったようですが、あまり一般的ではなく、明治以降の英語のLoveの日本語訳としてメジャーになった、という説もあります。
私は多分、「愛」の言葉の中にひとかけらのエゴイズムの匂いを感じてしまうんですね。「愛は地球を救う」のような胡散臭さも同時に感じます。
最初にあげた三原則に「愛」を使わなかったらどうなる?自然を、人を、物を愛する、という書き方でも意味は通じますが、「慈しむ」を使えば、自然、人、物、全てに使えるじゃないか!
しかも「愛」のような胡散臭さやエゴイズムは感じられない。大きな、母のような、神のような、暖かさや壮大さも感じられる。愛には終わりがありそうですが、慈しみは一瞬ではなく、じわじわと時間をかけてエネルギーを貰えるような気もします。「愛する」代わりに、「慈しもう」。
しかし私は、神様が聖書でおっしゃったように「汝の敵を慈しもう」という境地にはまだまだ至れません。エゴイズムから逃れられていないということですね。
過去記事ですが、アミ 小さな宇宙人を読んで 苦手なスピリチャルな愛の概念です。
https://nanten505.seesaa.net/article/201903article_3.html
にほんブログ村
にほんブログ村
ラベル:ひとりごと