2019年02月09日

修道女の介護者の祈り

 要介護2の認知症の義母と同居しているので、この祈りを読んだ時うるうると涙がにじんできました。 ’泣く’までいかなかったケド。 呆けたおばあちゃんがしでかしたことに怒り狂っている時に、この祈りを思い出すことができればいいなあ。 最初の3行を特に思い出したい。少しだけ優しくなれそう。

 生命の泉、あらゆる癒しの源である神よ、病めるものに奉仕するわれら介護者を祝し、導き給え
 我々全ての者が人生において闇の時と光の時を交互に過ごすことを忘れないようにしましょう
 そして、闇が降りた時には、お互いのために我々がその光となりますように

 われわれ(介護者)の両手を優しさに溢れたものにしてください
 われわれ(介護者)の眼差しを柔らかなものにしてください
 われわれ(介護者)の心の窓を開いてください

 神の恩寵と愛と親切さがわれわれ(介護者)の両手と眼差しと心の窓を通じて光り輝きだしますように
 われわれ(介護者)の心遣いが病める人たちの心身の癒しのための安全なよりどころになるようにしてください
 神よ、われわれ(介護者)を常にあなたの慈愛に満ち溢れたものに再生してください

  (出典:《貧しい人たちの小さな修道女たち》修道会の『介護者の祈り』 賀来弓月訳)


 フランスのユマニチュード、高齢者の人権を尊重・尊敬し、人間愛を持って介護をすること。 知識としては知っていましたが、私には絶対無理だって思っていました。 

 迷惑をかけられるだけの家族には無理。 高齢者に愛情があれば別ですが、私には義母に愛情はありませんから。 高齢者は家族にはオンブに抱っこで甘えてわがままを言うけど、他人にはそれなりに気を遣います。 ユマニチュードは介護を仕事として報酬を貰っている人のための考え方だと思っていました。 

 修道女は報酬は貰ってないかもしれないけど、神への信仰故にこの考え方ができるのでしょうか? まあ、こんな祈りがあるのだから、誰にでも簡単に愛情深く介護ができるとは思えませんが。

 私はキリスト教徒ではないけど、万物に宿る神というか、宇宙エネルギーを神と呼べるなら、そんな神様の存在は信じています。 でも宇宙エネルギーの神様が私を慈愛に満ちた存在にしてくれるとは思えないんですよねえ。この祈りのような慈愛を持った介護は無理かもしれないけど、もう少しだけ、ちょっとだけ優しくなれたらいいなあ。 

 この祈りは、フランス人は「老い」を愛する 元外交官の賀来弓月さんのエッセイの一節です。

 過去記事ですが、フランス人は「老い」を愛する
https://nanten505.seesaa.net/article/201902article_4.html






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ラベル:自己啓発
posted by ひろん at 23:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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